理心流の由来

武術天然理心流は、近藤内蔵之助長裕が寛政年間(1790年)頃に創始した流派である。遠江の出身という以外は不明である。諸国漫遊して鹿島神道流を学び、後に天然理心流を創始した。

内蔵之助は創意工夫をこらし新派を編み出し、その技術、伝達体系を整理した。 天然理心流は、剣術、柔術、棒術、気合術を含む統合武術であり、江戸時代に創始されたにもかかわらず、古武道の系譜を受け継いでいる。

内蔵之助が常に真剣勝負を想定して剣術体系をつくり、いかなる相手に対しても動じない極意必勝の実践を教え、自然にさからわず天に象どり地に法り、以て剣理を究めることから、天然理心流と命名した。

江戸時代幕末期に第四代 近藤勇が結成した新選組の活躍により、天然理心流の名も全国に知れ渡ることとなる。局長 近藤勇をはじめ、副長 土方歳三、一番隊組長 沖田総司、 六番隊組長 井上源三郎など、新撰組の中核メンバーが、天然理心流の出身者である。

理心流の由来 近藤勇像写真新選組局長 近藤勇像 (西光寺)

土方歳三像新選組副長 土方歳三像 (高幡不動尊)

試衛館道場跡の写真市ヶ谷試衛館道場跡

撥雲館道場跡の写真撥雲館道場跡

三鷹近藤勇生家跡の写真三鷹近藤勇生家跡